©︎Satoshi Shigeta/繁田諭写真事務所

目まぐるしい時代の流れとともに、人や世の中の価値観は大きく様変わりしてきました。

それと同時に家族や家庭の在り方も変化し、当寺も新しい考え方や仕組みを考え柔軟に取り入れております。

従来の檀信徒の皆様はもとより、障壁なく誰もが立ち寄れる環境創りを目指し、さらなる百年へと繋がる開かれた「祈り」の場として、本堂及び客殿の大改修工事を行い生まれ変わりました。

さらに、「開かれたお寺」として、多くの方々が、日頃から不安に感じている料金体系を明確化することで、心から安心して、全てを「任せられる」、心から信頼できる本当の「拠り所」として歩み続けます。

 

戒名のみ・・・10万円〜

すでに俗名(お名前)にて仏式その他にて、告別式をお済ませの場合に、お戒名(法名)をお授け致します。

 

葬儀(俗名)・・・10万円〜

お戒名(法名)なしで、告別式を行います。

 

葬儀(戒名・法名込み)・・・30万円〜

男性の場合は「信士」、女性の場合は「信女」というお戒名(法名)をお授けし、お通夜、お葬儀の仏事一切を行います。その他のお戒名(居士・大姉・その他)をご希望の皆様は、ご相談下さい。檀信徒の皆様は、ご相談の上、優遇させて頂いております。

 

その他

年回供養(法事)やお盆のご供養、さらには、お墓が決まるまでご遺骨を預かってほしい、実家にお墓があるが遠いので近くに分骨したい、将来どこに住むかわからないので、お墓を購入できないなど、一時的にご遺骨をお預かりする「預骨」も承っておりますので、ご興味がある皆さまは、お電話もしくは、下記フォームに必要事項をご明記の上、お問い合わせ下さい。

 

お申込み方法

近年、「終活」という言葉を耳にするようになりました。しかしながら、「見送り」を行うご家族の皆様にとりましては、受け入れ難い現実から、なかなか事前に準備が出来なかったり、考えることを先に延ばしてしまうことなど、たくさんのご事情があります。

特に、お墓をお持ちでない皆様にとりましては、深い悲しみの中で、たくさんの選択を迫られます。ご依頼の葬儀社様とのお打合せの中で、本来は、一番大切であり、考えなくてはいけない「お寺」や「お墓」の選択が、「先ずは、お葬式を」となり、本来の意義を失うばかりでなく、後々の多大なる負担も避けられないという結果になります。

皆様が心から安心して、手を併せられるよう切に願い、事前のご予約ばかりではなく、出来る限り対応させて頂きたいと考えておりますので、直接のお電話でも構いませんし、ご依頼の葬儀社様に「仙台市太白区(たいはくく)、秋保(あきう)の保壽寺にお願いしたい」とご依頼頂いても構いません。

また、お住まいのお近く等の葬儀社様のご紹介も行っておりますので、ご興味のある方は、お電話もしくは、下記フォームに必要事項をご明記の上、お問い合わせ下さい。こちらから、折り返しのご連絡を申し上げます。

 

     

     

    【参照事項】『供養』とは

    ❝思いや願いを大切につないでいくために❞

    今から2500年前、インドでお釈迦さまがお亡くなりになりました。80歳でした。当時お釈迦さまの教えは「言葉」にまとめられたものではありませんでした。お釈迦さまは弟子たちそれぞれにカウンセリングのように教えを伝えていたので、全体像は誰も把握できていなかったのです。このままでは教えは消えてしまいます。

    そこで弟子たちは皆で集まり、自分が生前のお釈迦さまから聞いた教えを話し、共有する会を開きました。これを結集(けつじゅう)と呼び、集まった弟子500人が五百羅漢(らかん)のモデルになったと言われています。この結集を経て、お釈迦さまの教えは「みんなのもの」になりました。後に経典として文字に示され、私たちに伝わっているのです。

    時代を超え、生前のお釈迦さまに会ったことのない多くの人が、その教えと人柄に触れられるようになりました。私たちは今この時代に生きながら、お釈迦さまの想いや願いを、生身の体温をもって感じることができます。永い間大切に繋ぎ続けられた「お経」によって、お釈迦さまの存在は、時代を超えて今も生き続けているのです。

     

    ❝供養とは、忘れないこと❞

    人は亡くなると、わずかなお骨を残して、眼には見えない、手には触れない存在になります。でも亡き人の想いや願いは、お付き合いをした方の心の中で残り続けます。人は死んで終わりではないのです。人が一人生きた証は、関わった人々や社会、または関係性の中に「行い」「言葉」「想い」の3つの形で残り続けます。それを大切にまもり、繋いでいくことこそが、故人さまが喜ぶ何よりの供養になります。

    一方で私たちは、眼に見えないもの、手で触れないものをいつまでも感じ続けられるほど強く器用ではありません。亡き人の存在や気配を見失ってしまわぬように、年回供養や命日に集まり、皆で話題にして差し上げること、特に「仏さま」になられた故人さまのことですから、その中から「仏さまのような行い・仏さまのような言葉・仏さまのような想い」を丁寧に選び取り、思い出し、話題にして共有し、その中から少しでも代わりに、したり言ったり考えたりして差し上げること。そのことで私たちは、亡き人と共に人生を歩んでいくことができるのです。生き死にを超えた温かなお付き合いを、大切に、丁寧につとめて参りましょう。

     

    ❝亡き人に想いを届ける❞

    その昔、人びとは、お釈迦さまの教えに出会えたことに感謝し、飲食などの供物で、おもてなしをしました。これが「供養」の原意です。供養を行うことで大きな功徳(くどく)が得られるものだと考えられて来ました。さらに、この尊い功徳を亡き人のために廻らすことで、安らぎがもたらされるという考えが生まれました。仏事供養の始まりです。

    仏さまに飲食やお花、お香を供え、卒塔婆(そとうば)を建立し、ご住職とともに読経することによって、善(よ)い行いの功徳を積むことができます。この功徳を廻らし向けることで、ご先祖さまや近しい仏さま、さらに、すべての仏さまが安らぎを得ることができるのです。

    『十地経(じゅうじきょう)』というお経では、供養に3種類の形があると説かれています。

    ①お供え物をして仏事を営む

    ②故人の徳を偲び讃える

    ③報恩のために写経や坐禅などの仏行に取り組む

    ご先祖さまに対する畏敬の心、身近な仏さまに対する感謝の心。こうした心を持ち、できる限りのお供えを行い、仏さまを供養する、その善き行いが故人の供養につながります。そして、それを行う側も仏さまの教えに親しみ、人間の本質に目覚め、心を調えていくことが必要なのです。すなわち、皆さまが真実の幸せに向かい、信心を深め、仏道にかなった生き方を学び行じることが供養をそのものに含まれているということです。供養という善き機縁を活かし、故人や全てを敬う気持ちを育み、自分の生き方を見つめ直して、充実した人生を仏さまと共に歩みましょう。

     

    ❝誰にでも訪れる「死」という別れの現実❞

    その前に立つとき私たちは、生きること、死ぬことの意味を改めて考えさせられます。かけがえのない幸せな出会いは、つらく悲しい別れと表裏一体です。人は死を迎えると、その存在は消えてなくなってしまうのでしょうか?

    いいえ、そうではありません。私たちは供養という行いを通じて、大切な人とのつながりを保ち、深めることができるのです。亡き人と心を結び、共に生きるすべを、「供養」を通じて考えていきましょう。

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