SIT IN 住職の同席/法事会食

SIT IN 住職の同席/法事会食

■住職のご同席に関して

お食事の折、住職の同席のご要望が多々ございます。ご希望の方は、ご予約の折にお申し付け下さい。大変恐縮ではございますが、ご同席の場合、ご予約頂きましたコース内容同等品を住職分もご注文頂きます。

また、お寺本来の業務をはじめ、何事も檀信徒の皆さまを最優先にさせて頂いております関係上、お食事のご同席以外で 仏事をはじめ各種ご相談等が あられる皆さまにおかれましては、お時間の制限などを設けさせて頂いております。ご予約の折、お問い合わせ下さいますようお願い申し上げます。尚、檀信徒の皆さまにおかれましては、これまでどおり予定を調整し、当日時間の許す限りご同席申し上げます。

 

■保壽寺檀信徒の皆さま

お食事の内容等を同一料金でも 一般の皆さま以上に充実させるなど、特別仕様にて ご用意申し上げております。尚、カフェ・テラでご提供申し上げております食事内容に関しましては、あくまで 下記記載の仏事関連ではなく、日常的なカフェのご利用において、ご用意ご提供致しております内容となります。

 

■通夜、葬儀、法事の会食について

ご法事などの会食に関しましては、あくまで 「今は亡き大切な ご家族さまへのお供えの中で、家族や親族及び知人が一同に席を共にし、故人を偲ぶ」ための『ご供養』の ひとつであるという本来の趣旨に対して深いご理解を頂き、別途 ご提案等を申し上げたく存じ上げます。

 

 

■【参照事項】『供養』とは

❝思いや願いを大切につないでいくために❞

今から2500年前、インドでお釈迦さまがお亡くなりになりました。80歳でした。当時お釈迦さまの教えは「言葉」にまとめられたものではありませんでした。お釈迦さまは弟子たちそれぞれにカウンセリングのように教えを伝えていたので、全体像は誰も把握できていなかったのです。このままでは教えは消えてしまいます。

そこで弟子たちは皆で集まり、自分が生前のお釈迦さまから聞いた教えを話し、共有する会を開きました。これを結集(けつじゅう)と呼び、集まった弟子500人が五百羅漢(らかん)のモデルになったと言われています。この結集を経て、お釈迦さまの教えは「みんなのもの」になりました。後に経典として文字に示され、私たちに伝わっているのです。

時代を超え、生前のお釈迦さまに会ったことのない多くの人が、その教えと人柄に触れられるようになりました。私たちは今この時代に生きながら、お釈迦さまの想いや願いを、生身の体温をもって感じることができます。永い間大切に繋ぎ続けられた「お経」によって、お釈迦さまの存在は、時代を超えて今も生き続けているのです。

 

❝供養とは、忘れないこと❞

人は亡くなると、わずかなお骨を残して、眼には見えない、手には触れない存在になります。でも亡き人の想いや願いは、お付き合いをした方の心の中で残り続けます。人は死んで終わりではないのです。人が一人生きた証は、関わった人々や社会、または関係性の中に「行い」「言葉」「想い」の3つの形で残り続けます。それを大切にまもり、繋いでいくことこそが、故人さまが喜ぶ何よりの供養になります。

一方で私たちは、眼に見えないもの、手で触れないものをいつまでも感じ続けられるほど強く器用ではありません。亡き人の存在や気配を見失ってしまわぬように、年回供養や命日に集まり、皆で話題にして差し上げること、特に「仏さま」になられた故人さまのことですから、その中から「仏さまのような行い・仏さまのような言葉・仏さまのような想い」を丁寧に選び取り、思い出し、話題にして共有し、その中から少しでも代わりに、したり言ったり考えたりして差し上げること。そのことで私たちは、亡き人と共に人生を歩んでいくことができるのです。生き死にを超えた温かなお付き合いを、大切に、丁寧につとめて参りましょう。

 

❝亡き人に想いを届ける❞

その昔、人びとは、お釈迦さまの教えに出会えたことに感謝し、飲食などの供物で、おもてなしをしました。これが「供養」の原意です。供養を行うことで大きな功徳(くどく)が得られるものだと考えられて来ました。さらに、この尊い功徳を亡き人のために廻らすことで、安らぎがもたらされるという考えが生まれました。仏事供養の始まりです。

仏さまに飲食やお花、お香を供え、卒塔婆(そとうば)を建立し、ご住職とともに読経することによって、善(よ)い行いの功徳を積むことができます。この功徳を廻らし向けることで、ご先祖さまや近しい仏さま、さらに、すべての仏さまが安らぎを得ることができるのです。

『十地経(じゅうじきょう)』というお経では、供養に3種類の形があると説かれています。

①お供え物をして仏事を営む

②故人の徳を偲び讃える

③報恩のために写経や坐禅などの仏行に取り組む

ご先祖さまに対する畏敬の心、身近な仏さまに対する感謝の心。こうした心を持ち、できる限りのお供えを行い、仏さまを供養する、その善き行いが故人の供養につながります。そして、それを行う側も仏さまの教えに親しみ、人間の本質に目覚め、心を調えていくことが必要なのです。すなわち、皆さまが真実の幸せに向かい、信心を深め、仏道にかなった生き方を学び行じることが供養をそのものに含まれているということです。供養という善き機縁を活かし、故人や全てを敬う気持ちを育み、自分の生き方を見つめ直して、充実した人生を仏さまと共に歩みましょう。

 

❝誰にでも訪れる「死」という別れの現実❞

その前に立つとき私たちは、生きること、死ぬことの意味を改めて考えさせられます。かけがえのない幸せな出会いは、つらく悲しい別れと表裏一体です。人は死を迎えると、その存在は消えてなくなってしまうのでしょうか?

いいえ、そうではありません。私たちは供養という行いを通じて、大切な人とのつながりを保ち、深めることができるのです。亡き人と心を結び、共に生きるすべを、「供養」を通じて考えていきましょう。