©︎Satoshi Shigeta/繁田諭写真事務所

 

新しいお寺のかたち。古くて新しい。新しくて古い。

祈りの場であると同時に、たくさんの人が集まるトコロ。いにしえ より 変わらない風がここにある。僕は そう信じています。

東には 発心の庭と名付けられた笹の庭と月の池が、西には 涅槃の庭と称する伝統的な禅庭園である枯山水庭園が臨め、ゆったりとした時の流れを感じながら飲食が出来ます。

 

この度、当寺の改修工事にあたり、客殿(きゃくでん・・・檀信徒の皆さまをご接待する建物)に檀信徒会館(檀信徒の皆さまが仏事などで使用する建物)としての機能を融合させ、約500年の歴史がある当寺の、現存する築125年の本堂の維持、さらには、次の100年を見据えたお寺の在り方を、住職として20余年の歳月の中で日々熟考し、1年を通して365日、たくさんの人々が気軽に訪れることが出来ることで、本当の意味で『心の拠り所』となれるようカフェラウンジ併設致しました。

それでは、カフェラウンジが、どうして『心の拠り所』となるのでしょう。

当寺及び当カフェラウンジを建設するにあたり、私が考えたコンセプトのひとつに『誰しもが いつでも気軽に足を運べる場所であること』というものがあります。

『幸せ』や『楽しみ』は、たとえ 自分一人でも充分に満足し、心を満たすことが出来ますが、他の誰かと享受することで、より深いものになります。

『悩み』や『悲しみ』は、時に 歯を食いしばって 一人で耐えようと努力をしますが、きっと誰しもが『助け』や『救い』を、自分以外の誰かや他の何かに求めたいと胸の内では思います。

そして、その『一人で耐え』続ける時間と 『悩み』や『悲しみ』を誰かにお話しするまでの間には、時差があります。『幸せ』な時間、『楽しい』時間は、あっという間に過ぎ去り、『悩んだり』『悲しんだり』している時間は、たとえ数分数時間であっても、何日も何ヶ月も何年もの長い長い時間のように感じるものです。

若干20代の青年が、恐れ多くも 住職となった当時より、皆さまに常に おかけ致しております言葉のひとつに、『悩み過ぎて 考え過ぎて苦しくなる前に、いつでも気軽にお寺に来て下さい。若い私が、何かを教えるような大きなことは出来なくても、一緒に考えることは出来ます。もしかしたら、お寺にお越し頂くことで、私ではなく、仏さまが何か教えてくれることもあるかもしれません。』

今でも当時と何一つ変わることはなく、同じお話を致しております。

しかしながら、何度お話しても、すぐにお越し下さる皆さまは ほんのひとにぎり。やはり、いくら努力しても『時差』は埋められないのです。

その『時差』が生まれる理由は、容易に見当がつきます。『迷惑をかけるのではないか』『忙しいのに申し訳ない』『こんな些細なことなのに聞いてもらうのが恥ずかしい』云々。

真剣に何かを考えている時ばかりでなく、『今から時間あるし 友達とお茶しよっかなぁ』『お寺なのに こんなに美味しいコーヒーが飲めるんだ』『今日は〇〇が食べたいなぁ』『疲れたから 一人でゆっくり まったり どこかで ぼぉ~っと過ごしたいなぁ』

誰にでもある日常的な思い。

いつでも解放されていることに加え、自分の気を紛らわすために、気軽に訪れことが出来る場所がお寺であれば、そして、そこに信頼出来る人がいてくれれば、些細なきっかけから、本当の自分が人には なかなか言えない『心にある荷物』を、ほんの少しでも軽くすることが出来ると考えたからです。

家族がいるから、親しい友人がいるから、心から愛する彼氏彼女がいるから、何でもお話出来るし 大丈夫。

確かにそうでしょう。しかしながら、家族だから、親しい友人だから、心から愛する人だから、

『私がこんなお話をしたら、きっと心配をかけてしまうかもしれない』

『こんな私のことを嫌いになるかもしれない』

『もうこれ以上、誰にも迷惑はかけられない』

皆さまは、お隣におられる大切な人。何でもお話出来ますか。

 

『優しさ』『思いやり』という気持ちは、時に『大切な誰かに迷惑をかけるかもしれない』という『心の温かさ』が故に、自分自身を苦しめてしまうこともあります。

このような時間は、確かに、人を育て 成長させてくれるかけがえのない時間ですが、そう簡単に、綺麗な言葉だけで片付けることは出来ない程の『苦しみ』も人生には数多くあります。

そして、ここには『時差』が生じます。一人で考えたり、悩んだりする時間と大切な誰かにお話しするまでの時間との間に。

この『時差』という空虚とも言えるべき時間、皆さまは、心の癒しを届けてくれる場所や相談が出来る信頼のおける人はおりますか。

私は、それこそが、皆さまの『菩提寺(お墓があるお寺)』や『住職』だと思っております。

もう一度お聞きします。私が考えるそのような 皆さまの心を解かしてくれる『お寺』や 皆さまの心を豊かにしてくれる『住職』はおりますか。

 

どの『お寺』も『住職』も、檀信徒の皆さまに寄り添い、心を救ってくれる場所であり、人です。ただ皆さまが行きづらいだけなのです。その『行きづらさ』を当寺と当カフェテラを通して『お寺は行きやすい』『うちの住職に聞いてみよう』と思って頂けるきっかけになってくれればと考えております。

私の最終的な目標は、『はじめは』多くの皆さまが気軽に来ることが出来るお寺で、『最後は』誰も来なくなる(当寺のお檀家の皆さまだけが来る)お寺づくりです。誰も来なくなるこということは、この保壽寺や私自身を皆さまが必要とはしなくなり、ご自身のご先祖様がお眠りなられているお寺やご自身のお寺の住職が皆さまの『心の拠り所』となってくれるということです。

カフェテラは、建物が竣工してからが、本当の『はじまり』だと積年考えて参りました。このスタート地点に立つまでに、約20年の歳月を要しました。

 

もうひとつあります。私には、『食』に対するこだわりがあります。一人の人間として、そして、僧侶として。また、いつの日か、このホームページに私の思いを綴ろうと思いますが、今回は、『カフェラウンジ』開設のコンセプトとして、そしてまた、シンプルに『僧侶』としての『食』へのこだわりのひとつをお伝え致します。

 

これまで住職として20余年、お檀家の皆さまばかりではなく、お寺内外にて、様々な企業様、団体様、学校法人様その他、各種イベントから結婚式まで、ご法話の機会を頂いて参りました。

結論から申し上げますと、どんなに努力をしても、この先、どのような経験をし、それを題材にしてお話をし、感動し涙するたくさんの皆さまがいても、共感し、また私のお話を聞きたいと思って頂いても、唯一 『食』だけには敵わないと考えるからです。

なぜなら、人は『忘れる』からです。私自身もそうです。どんなに素晴らしいお話を聞いても、忘れるとまではいかなくても、感動をそのままに、心に置いておくことが出来ません。あえて、お話致しますと、『・・・年齢とともに』です。

まだまだ浅学かつ若輩の身ではございますが、私のこれまでの経験で申し上げますと、『きっと人が最後の最後に思い出す』ことは、

『あの時 食べた〇〇 美味しかったなぁ』

『あの時 食べた〇〇が忘れられない』

『あそこで食べた〇〇を もう一度だけでいいから食べたい』

『明日どうなってもいいから 〇〇だけ内緒でもって来て』

誤解を承知で書かせて頂きます。私は、『僧侶のありがたいお話より、美味しかった〇〇』の方が、脳と心にいつまでも鮮明に残ると考えております。たとえ、ひと時忘れた『美味しかった〇〇』でも、鮮明に思い出す時が、数十年後先でも、必ず訪れます。

そして、その『美味しかった〇〇』は、『どこで食べたか』と『誰と食べたか』という涙が溢れる程の美しい記憶の断片たちを紡いでくれることさえあると考えます。

 

このように、遠路、この保壽寺に足をお運び下さる皆さまおひとり おひとりが、日本の原風景に身を委ね、いにしえより変わらない風を感じつつ、明日への一歩を踏み出す勇気と希望が やさしく やわらかく胸の深いところに届いてくれること、本当は誰しもが分かっているけれど、今は少し忘れかけてしまっている心の真ん中にある大切な温かな『想い』を思い出し、再認識して頂くことこそが、当寺にカフェラウンジを併設し、飲食をご提供申し上げております大きな理由であり、カフェテラのコンセプトであり、私の切なる願いです。

どうぞ お気軽にお立ち寄り下さいますようお願い申し上げます。

2023年6月15日 保 壽 寺 住 職 伊 藤 孝 裕

©︎Satoshi Shigeta/繁田諭写真事務所

※カフェラウンジ等で使用しております家具は、天童木工様にて、当寺のために特注製作したオリジナルの作品です