©︎Satoshi Shigeta/繁田諭写真事務所

❶本堂外観

度重なる伽藍(がらん)喪失により約125年前に再建され、その後、昭和50年代の宮城県沖地震、さらには、東日本大震災を乗り越え、現在に至る。銅板葺の入母屋造り。翼を広げた鳳凰のように本堂両側を菱葺で仕上げ、後光のように本堂を包み込んでいる。

 

 

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❷本堂内観

金箔の2段彫天蓋(てんがい)や瓔珞(ようらく)、歴史を感じる龍や鳳凰の彫刻が施された欄間に加え、令和2年から着工した改修工事により、高台に位置する当寺から見える秋保の山々を内陣の指物(さしもの)建具により表現し、新たな表情を覗かせている。

 

 

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❸開山堂

開山堂(かいさんどう)とは、室町時代から続く21代の住職の位牌を安置する場所。当寺から眼下に広がる秋保の山並みを、熟練の指物師による手の込んだ技術により再現。道元禅師(曹洞宗の開祖)が詠われた詩のひとつが東西にある開山堂前方に掲げられている。

= 西来祖道 我伝東 釣月耕雲 慕古風 世俗紅塵 飛不至 深山雪夜 草庵中 =

お釈迦さまが悟りをひらかれ、歴代の祖師たちが伝えてきた教えを伝えた今、雪がさえる深い山の中で ひとり静かに座る(座禅をする)私に ただ聞こえてくるのは、今もなお 頬を伝う自然の足音とその教えだけである。

 

 

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❹位牌堂

本堂西序にある檀信徒の位牌を安置する場所。それぞれの自宅にある仏壇の位牌とは別に、日々のお寺での供養を希望する檀信徒の位牌がある。浄土があると言われている西方よりお先祖さまが、位牌堂の下部から見える菩提の庭と共に参詣者を見護り続けている。

 

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❺円窓

擦り漆(すりうるし)仕上げの廊下の先にある北庭園を望む菱格子の指物障子が目を引く円相。禅の世界では、円は 悟りや真理の象徴として、見た人の心を映し出すものとされている。

 

 

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❻書院

建具が全て菱で統一された聚楽塗りを施した書院。続き間としてある応接間からは、東庭園にある月の池が望める。静寂の中、清らかな水の滴る音が、心を和ませてくれる。

 

 

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❼大広間(檀信徒会館・集会所)

法事会場などの宗教行事としてのばかりでなく、普段は、保壽寺カフェ:CAFE TERA (カフェテラ)として、さらには、会議や各種催し物、その他 地域のコミュニティの場として檀信徒ばかりでなく、誰もが立ち寄ることが出来るフリースペース。

西庭園には 枯山水を眼下に壽翠観音(じゅすいかんのん)が、東庭園には 月の池や回遊式庭園が見える。どなたでも自由にお貸し致しますので、ご一報下さい。 

 

 

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❽発心(ほっしん)の庭

月の池、笹の庭がある回遊式の東庭園。日本においては古くからササを神聖なものとする概念があった。地鎮祭に際して敷地の四隅に竹を立てるもの、ササに神聖さを求めているからに他ならない。竹、笹は古代から日本人に特別の感情を抱かせる植物であった。さらに地下茎を張り巡らせる特有の性質は神聖さに加えて、生活を守ってくれるという実質的な解釈も日本人に与えていた。

笹の庭を通り抜けその香りを嗅ぎ、風で触れ合う音を聴き、それぞれの思いを馳せる場所となればとの思いが込められている。

 

<鳥石>

笹の床に点在する石は一つとして同じ形の物はなく、座っているもの、立っているもの、寝転んでいるもの、自由にそこに在る。それぞれが自由に、自然に佇んでいる様が見る人によって様々なモチーフに変化する。

 

<月池>

月に見立てた池ほとりには春は桜、秋は紅葉が水面に映り込み、華やぎを与える。和室から見た月の形は左上が欠けている上弦の月。成長、発展の意味を持つ。

 

<笹の床>

ふっくらと空気を含んだような雰囲気を持ち、風に揺れ香り、音を醸し出す。灯籠や鳥石がそこから自由に顔を出す。

 

 

❾壽翠観音

透彫が細部にまで丁寧に施された大変珍しい、柔らかい表情の壽翠観音(じゅすいかんのん)。東日本大震災により倒壊し 、現在は2代目となり参道前方より参詣者をいつも見守り続けている。

 

 

➓菩提(ぼだい)の庭

先代住職がこよなく愛した西庭園。鳥海石の隙間から流れる清らかな水の音が 、心を和ませてくれる山水庭園。大輪のサツキやツツジが花開く季節には、多くの参詣者が訪れ、また、写真撮影や絵画を楽しむ人々で賑わう。建物内の位牌堂から見える景色も見どころのひとつである。

菩提とは、元来、煩悩を断ち切って悟りの境地に至ること、さらには、悟りの知恵と訳される。壽翠観音(じゅすいかんのん)、壽裕童子(じゅゆうどうじ)が心の安らぎへと導いてくれる。

 

⓫修証(しゅしょう)の庭

参道の東側にある庭園で、南側には一般墓地が広がる。墓前で手を併せるその先には、日本庭園が眼前に広がり、四季折々の花々が咲き乱れる美しい世界を見出すことが出来る。

『修』とは、自己の研鑽を積み修めること(修行)、『証』とは、修めた自己を証明すること(修行をし、目覚めた悟りの世界)を意味する。曹洞宗の開祖道元禅師の言葉で『修証一如(一等)』と言う教えのもと、墓参の折、彼岸に渡られたご先祖様に手を併せ、見えてくるこの景色が、さらに参詣者の心に、教えとして届いて頂きたいという願いが込められている。

 

 

⓬渓谷の滝

参道の西側にある庭園。当寺の山号である『渓谷山』から名付けられている。菩提の庭から流れる清らかな水が参詣者の心を癒してくれる。東側の大きな石がお地蔵さまに見える。

 

 

⓭参道

東にある修証の庭と、西にある渓谷の滝の間を通る当寺の西参道。春には、枝垂桜が参詣者を迎えいれてくれる。見頃は、4月下旬から5月の連休。同参道沿いにある、サツキやツツジが花を咲かせる季節にも、たくさんの参詣者が訪れる。

 

 

⓮樹木葬墓地公園

樹木葬の墓地。頂からは聖観音石像が樹木葬墓地、一般墓地を見護り続けている。四季折々の草木が参詣者の心を癒してくれる。

  

  

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⓯涅槃(ねはん)の庭

本堂前の枯山水庭園。涅槃とは、サンスクリット語で『ニルヴァーナ』と言い『吹き消す』ことを意味し、文字どおり、単に『死』ということばかりでなく、その概念を越え、悩みや苦しみという煩悩の火が吹き消された 安らかな世界、生死を乗り越えた悟りの世界のことである。

庭園内には、15の三波石と古鮫川石が、直線と対角上その他全てにおいて黄金比で配置され、どの角度から見ても1つ欠け、14石しか見えない。唯一、本堂内正面から見たときのみ、15の全ての石が見渡せる。これは、当寺のモニュメントとなった菱と同様、悩みや苦しみ、そして 悲しみを抱え、参詣なされる人々が、ご供養をし帰路に着く折、一番はじめに目にする景色が、お釈迦さまの悟り(涅槃)と同様に、美しい世界であり、少しでも心が晴れやかに、心が穏やかになり、明日を歩いて頂きたいとの願いが込められている。

当寺の主たる4つの庭園は、お釈迦さまが出家される物語である四門出遊と言う東西南北の門(発心門、菩薩門、修行門・・・当寺の庭園は 修証、涅槃門)から出て、老人、病人、死者、修行者に出会う物語りになぞらえて名付けられている。