LOOK OVER:撮影頂きました‼

LOOK OVER:撮影頂きました‼

©NORIKO SATO

 

先日、estudio Rico代表であられますフォトグラファー佐藤紀子氏に ご撮影頂きました。これまで 公私にわたり、たくさんのカメラマンの皆さまと ありがたいご縁を頂き、その芸術に触れてまいりましたが、佐藤様の温かなお人柄そのままに見据え切り取られる景色、やさしくも美しい作品に 改めて 心を奪われました。是非 皆さまも 彼女の奏でる世界観に身を委ねて頂きたく存じます。

 

 

仏教では、目を大切にしており、心の目を『心眼(しんがん)』と呼んでおります。当寺の本堂への入口には、大本山永平寺の元住職直筆の『子細看』という私が好きな言葉が見られます。

さらに詳しくご説明致します。私たち人間には、5つの目があるというのです。肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼といいます。

肉眼とは、可視的物質のみを見る眼、つまり、私たちが親から与えられた眼球、ごくごく日常的に この世を見ることが出来る目のことです。大変恐れ入りますが、誤解を承知で記載致しましたことに対し、心よりお詫び申し上げます。

天眼とは、遥か遠くのものを見ることができる目です。日本人には ごく稀であると存じますが、2.0以上の視力をお持ちの方、もしくは、双眼鏡で世界を見渡すとの理解で構わないかと存じます。より多くのものや世界を見ようとする目です。

慧眼とは、物質的、精神的なすべてのものを見通すことのできる眼であり、迷いの世界から抜け出そうとする知恵、私たちが それぞれの関わり合いや経験の中で学び得た見通す力です。

法眼とは、人を悟りに導く能力のある眼、つまり、今まで気付かなかったことを気付かせ教え導く目のことです。

仏眼とは、読んで字の如く「お仏さまの目」、すべての真理を見極めることができる眼です。私なりに分かりやすくご説明申し上げます。仏様は目を半分だけ開いています。なぜでしょうか。私たち人間は、すべて見えてしまうから腹が立つという考え方です。仏様のように半分だけ見ると、いかがでしょうか。半分は納得出来ないこともあるけれど、半分は 許してあげてもいいのではないかという気持ちになるはずです。これを『慈悲』と言います。慈愛(慈しみ)の気持ちを心の真ん中に据えて、悲しむのではなく、自分の大切な人や隣にいる人の悲しみ(声)に耳を傾け、分ち合うのです。

今 自分が当たり前のように見ている景色や世界は、自分が当たり前のように持っている目は、決して、自分が作ったもの、自分だけのものではないということを、改めて考えたいものです。親から与えられた その大切な目で見る世界が、たとえ 今 自分が雑踏の中を歩いていようとも、皆さまが そこにある本当に美しいものをしっかりと見失うことなく歩いて頂けることを切に願ってやみません。

 

ファインダー越しに見る世界は、日常のありふれた景色の中の1コマに輝きを与え、その切り取られた世界は、美しい彩りと心地よい風が奏でる心の情景であると私は考えております。この度、佐藤様におかれましては、またひとつ 大切なことを思い出させて頂きました。お忙しい中、遠路 ありがとうございました。衷心より厚く御礼申し上げます。ゆっちゃん モデルさんしてくれて ありがとう♪



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